FC2で運用してきたMuseum::Shushi bisですが、いろいろ考えた末、自前で取ったサーバー上のMovabletype4で運用することにいたしました。
新しいウェブログは以下の通りです。
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/★リンクして頂いている皆様★
リンクの変更をお願い致します。もちろん、FC2のブログは閉鎖致しません。
ポジティブな理由としては以下の通りです。
- レスポンスが早くなり表示時間が短縮されます。
昨年まではMuseum::Shushiとして、Movabletype 3.3環境で運用していましたが、記事を静的に作成していたため、全体の再構築がタイムアウトで落ちてしまい、保守不能になりました。原因は、記事数の増加と、サーバーパフォーマンスの陳腐化が原因です。今回からは、別の性能の上がったサーバーで、記事を動的生成する方式をとることで、レスポンスの向上を図ることが出来るという判断です。 - 管理画面のユーザーインタフェースが使いやすい
この点は、ごらん頂く皆様というより、私の負荷が軽減されるというのみなので、理由とするには少々気が引ける面はあります。FC2の管理画面もいろいろ工夫があるのですが、少々動作がもたつく場面がありました。また、ログインしようとするたびに認証を求められるのが少々面倒でした。Movabletypeに変更することで、管理画面がとても使い訳すくなりました。自動保存や、入力域の拡大可能などの面でも良いと思える部分が多いです。 - 広告が表示されない
最近、FC2の管理画面に消費者金融やオンラインゲームの広告が頻繁に表示され、少々うるさく感じるようになってきたという点があります。無料なので何も言えないのですが、サーバーを取ってしまった以上、無料であるから使う、という理由はなくなったと言うことになります。 - タグとカテゴリが使える
タグを複数つけることが出来るのはもちろん、カテゴリーの階層化や、複数のカテゴリを指定できる、など記事の管理をする上での柔軟性が広がります。
- 自前でインストールから、CSSやHTMLのメンテナンスまで自分でやる必要があります。これは、もう「自分の勉強になるから」という理由で、甘んじて受けようと思います。
- デザインのテンプレートが少ないので、本当に最低限のデザインしか適用できないですね。前項にも書いたように自分でデザインしないと行けません。これは楽しい作業ではあるのですが、少々時間を取られるのが玉に瑕です。
「カットされていない部分が多くて全体的に長い印象だった」と書いたのですが、ちょっと間違ったことを書いてしまったかな、と思っています。
http://museumshushi.blog77.fc2.com/blog-entry-462.html
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/11/1983.html
拠所となったのは、マルシャリンがゾフィーに顔色のところを問いつめる場面と、マルシャリンの部屋でヴァルツァッキがオックスに自分を売り込む場面がなかったのではないか、という思いだったのですが、カラヤン盤のライナーを見ると、どちらもあることに気づきました。ごめんなさい。
しかし、やはりどうしても聞いたことのないばらの騎士を聞いた気がするのですよ……。凄く新鮮な気分で聞けた気持だったのです。あれはなんだったのだろう? 指揮のファビオ・ルイジの音楽の作り方のせいなのか、あるいは、ばらの騎士を聴き続けた僕の中で何かが変わったのか? あるいは、僕がはっきりと認識できなかったところでノーカットになっていたのか……。
ともかく、すこし安易に書いてしまったことはお詫び致します。
前にも書いたかもしれないが、音楽を、言葉や文章に表すことの難しさといったら、本当にこの上ないものだ。
もちろん同じことが、絵画や彫刻にも当てはまるだろうし、長編小説に対する感想であってもそうだろうし、風景や人間を描写しようとしたときにも同じような思いを抱くのである。とにかくきわめて困難な仕事のひとつであることは確かだ。
かつて取り上げたように、ホフマンスタールはこう述べる。
ある話題をじっくり話すことが、そしてそのさい、だれもがいつもためらうことなくすらすらと口にする言葉を使うことが、しだいにできなくなりました。(中略)ある判断を表明するためにはいずれ口にせざるをえない抽象的な言葉が、腐れ茸のように口の中で崩れてしまうせいでした。ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』檜山哲彦訳 岩波文庫 1991、109ページ
岩波書店 (1991/01)
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非凡なホフマンスタールさえこう述べているわけで、ましてや僕にはもっと難しいとおもうし、ホフマンスタールがこの文章を述べている地平にさえもたどり着いていないのかもしれない、と思うのだ。
冒頭に書いた「音楽」を「文章」化すること。それも、音楽用語を使わずに行うこと。四度跳躍とか、リタルダントとか。それでいて読み手にある感じを頂いてもらうということ。厳しいがそうせねばならぬ。
フィレンツェ二日目。まずは街のシンボルである花の聖母寺へ向かう。フィレンツェとはラテン語で花を意味する言葉を語源に持つ。ボッティチェルリの「春」に花の女神フローラが描かれたのはフィレンツェの街の空気をよくあらわしているのではないか、と思うのである。
実は出発前に一番ショックを受けるだろうと思ったのが、このサンタ・マリア・デル・フィオーレを見ることだった。あの深緑色、桜色、象牙色の大理石が織り成す外壁の文様のすばらしさは写真で見ただけではわかるまい、と思ったからだ。知識として知っているのと体験して知っているのはまったくの別物なのである。
サンタ・マリア・ノヴェッラ広場からバンキ通り、チェレッターニ通りを進むと、いよいよドームとご対面。いやあ、これは本当に凄い。写真で見ていたのと全く印象が違う。そしてその装飾のきらびやかさ、繊細さはなんなんだ、と思う。このブログでも何度と泣く書いたかもしれないがやはり「神は細部に宿る」である。思った以上にバラ色の大理石が心を打つ。教会というある種厳粛な場の外面が甘美な装飾で覆われているとは。そしてこれが今から600年も前のものなのだ、と思うとさらに思いは深まるのである。

最近My Boomな、ヴォーン・ウィリアムズ。小さいころには、南極交響曲と称される第7番と第8番のカップリングCDをよく聴いていたのだが、どうにもあまり奥へと入っていけない気持ちを感じていた。7番、8番に限っていえば今も同じ感想なのだが、交響曲全集を改めて聴きなおしていると、心を捉えて離さない曲があることに気づく。それが先日来俎上に載せている交響曲第5番と、同じく交響曲第3番である。第3番は「田園」という名称が与えあられているのだが、作曲者の第一次世界大戦の経験が反映しているという。特に気に入っているのが第三楽章に現れるトランペットの輝かしいファンファーレで(後ほど譜面を入れる予定)、この部分を聞くだけで歓喜の念を抱くのである。曲調は全体的に穏やかで「田園」の雰囲気を醸し出すのだが、最終楽章のソプラノのが哀調を帯びている。戦死者への追悼と、戦死者が帰ることあたわぬイギリスの田園への憧憬が描かれているのだ、と思うのだった。
ウィキペディア「田園交響曲(ヴォーン・ウィリアムズ)」を参照。











