Museum::Shushi bis
辻邦生さんの文学の紹介、文学、クラシックやジャズ、美術。
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音楽を、言葉や文章に表すことの難しさ
2007年11月29日 (木) 21:40 | 編集

前にも書いたかもしれないが、音楽を、言葉や文章に表すことの難しさといったら、本当にこの上ないものだ。


もちろん同じことが、絵画や彫刻にも当てはまるだろうし、長編小説に対する感想であってもそうだろうし、風景や人間を描写しようとしたときにも同じような思いを抱くのである。とにかくきわめて困難な仕事のひとつであることは確かだ。


かつて取り上げたように、ホフマンスタールはこう述べる。

ある話題をじっくり話すことが、そしてそのさい、だれもがいつもためらうことなくすらすらと口にする言葉を使うことが、しだいにできなくなりました。(中略)ある判断を表明するためにはいずれ口にせざるをえない抽象的な言葉が、腐れ茸のように口の中で崩れてしまうせいでした。
ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』檜山哲彦訳 岩波文庫 1991、109ページ
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ホフマンスタール 桧山 哲彦
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非凡なホフマンスタールさえこう述べているわけで、ましてや僕にはもっと難しいとおもうし、ホフマンスタールがこの文章を述べている地平にさえもたどり着いていないのかもしれない、と思うのだ。


冒頭に書いた「音楽」を「文章」化すること。それも、音楽用語を使わずに行うこと。四度跳躍とか、リタルダントとか。それでいて読み手にある感じを頂いてもらうということ。厳しいがそうせねばならぬ。

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ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第三番を聴く
2007年11月27日 (火) 21:13 | 編集

最近My Boomな、ヴォーン・ウィリアムズ。小さいころには、南極交響曲と称される第7番と第8番のカップリングCDをよく聴いていたのだが、どうにもあまり奥へと入っていけない気持ちを感じていた。7番、8番に限っていえば今も同じ感想なのだが、交響曲全集を改めて聴きなおしていると、心を捉えて離さない曲があることに気づく。それが先日来俎上に載せている交響曲第5番と、同じく交響曲第3番である。第3番は「田園」という名称が与えあられているのだが、作曲者の第一次世界大戦の経験が反映しているという。特に気に入っているのが第三楽章に現れるトランペットの輝かしいファンファーレで(後ほど譜面を入れる予定)、この部分を聞くだけで歓喜の念を抱くのである。曲調は全体的に穏やかで「田園」の雰囲気を醸し出すのだが、最終楽章のソプラノのが哀調を帯びている。戦死者への追悼と、戦死者が帰ることあたわぬイギリスの田園への憧憬が描かれているのだ、と思うのだった。


ウィキペディア「田園交響曲(ヴォーン・ウィリアムズ)」を参照。


RVW
ボールト/ヴォーン・ウィリアムズ第5交響曲
2007年11月21日 (水) 21:52 | 編集

Vaughan Williams, The Complete Symphonies



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ヴォーン・ウィリアムズの第五交響曲にはまっています。最近は、会社帰りにこの曲でリラックスしている感じです。静かな田園地帯の風景が思い起こされるのですが、それだけをとって、「田舎っぽい曲」として嫌われることもあるのだ、とウィキペディアにありますが、どうしてどうして、まるでミレーの晩鐘のような静謐な美しさをたたえています。確かに、ドイツ音楽とは全く違う旋律美。あるいは、旋法が違うのかもしれません。しかし、これがイギリス音楽の良さだとしたら、少しイギリス音楽に開眼してきているのかもしれません。

今日は仕事の都合で移動時間が長かったと言うこともあって、ショスタコーヴィチの交響曲第5番をロジェストヴェンスキーの指揮で、シュトラウスのアルプス交響曲をカラヤンの指揮で、ヴォーン。ウィリアムズの交響曲第3番をボールトの指揮で愉しみました。交響曲ばかり聴いている感じです。
ライヴの力
2007年11月16日 (金) 23:47 | 編集
Ticket

忘れないうちに書いておこう。

最近CDを聞いていて思うのである。どうやら、オペラやコンサートに出掛けた時の強烈な印象というものは、CDをどんなに聞いても覚えることは出来ない。オペラやコンサートに行くと必ず違う人格へと変貌を遂げているのに気がつく。それは楽曲を誰にも邪魔されることなく聴くことが出来るからだろうし、演奏者の気迫に大きな触発を受けるからと言うこともあるだろう。ティーレマンを聴いたときもそう。新国立劇場のばらの騎士を見たときも、蝶々夫人を見たときも同じ。そして、次は23日のばらの騎士。また違う人格へと変貌するに違いない。そして、それが進歩という名の変貌であることを切に願うのである。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を聴く
2007年11月13日 (火) 21:04 | 編集
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珍しく、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を聴いています。今日は第5番を聞いています。ドイツ、イタリアの音楽とは語法が全く違うなあ、と思いました。クラシックといってドイツものばかり聴いてきただけなのだなあ、まだまだ未知の音楽はたくさんあるなあ、と思っています。この交響曲全集は4年ほど前に購入したのですが、iPodに取り込んでいませんでした。新しいiPodが入手できましたので、安心して全交響曲をiPodに転送しました。

それで、今日は5番を聞いております。

銀色の空を背景して流される白い霧の合間にうち沈む波打つ丘陵地帯は一面背の低い草に覆われている。苔むした石造りの小屋から腰を曲げた老人が出てきて、井戸の水で顔を洗い、白く硬いタオルで顔を拭いているのだが、のばした茶色い髭にはまだ水滴が残っている。軒下で休んでいた長身の毛の短い茶色い犬が尻尾を振って老人にじゃれついている。

そんな印象を持ちました。

中学生の頃には、有名な「南極交響曲」を愛聴していたことを思い出しました。もう何十年も前の話です。

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